百人一首姥か恵と幾 菅家

作品解説

大判錦絵 天保6年(1835)頃
作品名の菅家は、平安時代前期の学者である菅原道真(すがわらのみちざね)のことです。道真の和歌「此度は拔麻(ぬさ)もとりあ()手向山(たむけやま)紅葉のにしき神のまにまに」や道真のイメージから、手向山八幡宮(奈良県奈良市)を思わせる石燈籠(とうろう)と、平安期の貴族が主に移動の際に用いた牛車(ぎっしゃ)が描かれています。手向山は紅葉の名所として知られています。また、道真が丑年生まれで牛を愛でていたことや、丑の日に亡くなったことなどから道真と牛は縁が深く、そのため牛車のイメージに繋がったと考えられます。

錦絵