大判錦絵 天保2年(1831)頃 現在の千代田区神田駿河台の風景を主題とし、高台からのぞんでいるため、富士山が画面のやや低いところに描かれています。この一帯には武家屋敷も多く、供を連れた武家のほか、棒手振(ぼてふ)り、巡礼など、様々な人が神田川のほとりを行き交っています。後摺では省略されてしまう、右端の屋根の瓦のぼかし摺りも認められ、本図は早い摺りであることがわかります。