すみだの北斎
すみだで生まれた偉大な絵師、葛飾北斎は子供のときから絵を描くのが大好きでした。目に映るものは何でも描きましたが、特に富士山を描いたシリーズが有名です。
アメリカの有名なフォトジャーナル誌『LIFE』が発表した『ザ ライフ ミレニアム』で、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」にも、日本人でただひとり選ばれました。北斎はどんな人だったのでしょうか?
国立国会図書館デジタルコレクションより
北斎はすみだの生まれ
葛飾北斎(1760−1849)は亀沢で生まれました。近くに流れていた川(割下水)は埋立られて道路となり、現在は北斎通りと呼ばれています。北斎は小さい頃から絵を描くことが大好きで、やがて浮世絵という絵を描く先生に入門し、描き方を習いました。
また、90歳で亡くなるまで、墨田区内を中心に93回も引っ越しをしたことがあったといわれています。引っ越しだけではなく、絵に書く自分の名前もよく変えました。春朗、北斎、為一、画狂老人、卍など、いろいろな名前を使いました。
海外でも人気者
北斎の絵は、たとえば荒れている波を描く場合に、描きたい一部分を大きくしたり、同じものを描いても、時間や季節によって見え方が異なることなども教えてくれます。北斎はいろいろ工夫をした絵を描いているので、外国の画家ゴッホやモネのほか、たくさんの画家たちに影響を与えました。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」という作品は、今でも世界中の人たちに”グレイト・ウェーブ”または”ビッグ・ウェーブ”と呼ばれて親しまれています。画家だけでなく、音楽家のドビュッシーもこの絵から影響を受けて、交響詩「海」を作曲したと言われています。※交響曲…オーケストラ形式の曲のひとつ。
(すみだ北斎美術館蔵)
浮世絵とは、当時の人々の生活や役者の姿などを紙に描いたり、摺ったりした絵ですが、当時江戸の人々の間で大人気だったのは、木版で摺ったものです。1枚の版画ができあがるのに、多くの職人がかかわりました。
北斎は絵が大好き
北斎は6歳のころから絵を描いていました。いろいろなものを描くのが面白くて、風景のほかにも動物や植物、人の表情やしぐさなどを描きました。絵を描き始めると、食事や眠ることも忘れてしまうほど、熱中して描いたそうです。
みんなが手軽に絵を描けるように、絵の描き方を教える本も作りました。右の絵を一、二、三……の順番に描いていけば、富士山を見上げる武士が描けます。みんなで絵を描いてみましょう。
コンパスと定規を使って描こう。
『略画早指南』より
円を描くと猿が描けます。
ひと筆描きで描いてみよう。
『一筆画譜』より
北斎はすみだの生まれ
北斎は、自分 が生まれ育ったすみだの景色を数多く描きました。本所一丁目あたりから両国橋をみた①「冨嶽三十六景御厩川岸 両国橋夕陽見」や木母寺あたりを描いた②「雪月花 隅田」、人々が隅田川の涼を求めるようすがよくわかる③「両国夕涼」、1 つの絵の中に牛嶋神社と三囲神社を描きいれた④「新板浮絵三囲牛御前両社之図」など、町のようすや人々を描きました。
下の絵は、北斎が 86歳の時に描いた大きな絵の額で、牛嶋神社にあった「須佐之男命厄神退治之図」です。須佐之男命が病気をもたらす悪い神たちに、二度と悪事を働かないように証文を書かせている場面です。たて1.2メートル、よこ2.8メートルもありましたが、実物は関東大震災で焼けてしまいました。美術館では、この推定復元図を常設展示しています。
所蔵:すみだ北斎美術館
制作:凸版印刷株式会社