涼を求めて!! 「隅田川」

 

 5月下旬頃になると日中は汗ばむ季節になり、もうすぐ日本の蒸し暑い梅雨と夏がやってきますね。
  皆さんは春夏秋冬で一番好きな季節はありますか?
  私は、ずばり「夏」です。(春は花粉症なので。秋と冬は寒いので苦手という単純な理由なんですけどね。)
  暑くなってくると、涼を求めて少しでも過ごしやすい方法をとりたくなりますが、そんな気分を連想して「水」をテーマに「隅田川」に視点をあてたいと思います。
  隅田川は荒川から分岐する川で東京都北区の新岩淵水門から流れ込み1市7区を通って東京湾に流れ込む全長23.5㎞の1級河川です。江戸期において防上の理由により架橋が制限され多くの渡しが運行されていました。その後、関東大震災を機に鋼鉄製の橋が架けらるようになり、現在では水神橋(荒川区―墨田区)から両国橋(中央区―墨田区)までの9つの橋が車や人が通れる橋として墨田区に架けられています。
  葛飾北斎自身も生涯の作品において常に変化する川や海などの「水」を好んで作品にしています。隅田川や東京湾付近の景色や風景の他にも鯉や当時捕れた鰻など隅田川に生息する生物が写実的で静止画のように生き生きと描かれ、彼の観察眼の鋭さが伺えます。北斎が過ごした江戸時代後期は現在よりも河川の幅が広く海岸線も後退していたため、川や海に行くことは容易であったと考えられます。

 

 
現在の隅田川(墨田区役所より撮影)
 

 

 

 

春到来!

 

 新年度を迎え、早3週間が過ぎました。入学や就職などで大きく環境が変わった皆様も、新しい環境に少しずつ慣れ始めてきた頃だと思います。

  天候もまだ寒い日となることがありますが、だんだんと暖かくなり、春らしく心地よい天気も多くなってきました。暖かい日には、外出でもして春を感じたいも のですね。北斎も春にちなんだ題材を多く描き、人々の心を和ませてきました。本日は、その中でも花鳥画の代表作として有名な作品を紹介します。



「牡丹に胡蝶」

 牡丹の開花時期は4月~5月で、まさにこれから見頃を迎えます。花言葉としては「王者の風格」「高貴」「壮麗」などがあり、原産地の中国では、古来から「花の王」として大切にされてきました。

  本図では、咲き誇る牡丹と風によって体勢を崩した蝶が的確に描かれており、森羅万象を生けるがごとく描こうとする北斎の意気込みを感じ取ることができます。本作品に限らず、北斎は独創性豊かな構図や大胆かつ精細な表現方法など、多彩な技術で見る者を圧倒させるダイナミックな作品を数多く残しています。

  生涯をかけて絵師の道を追求し続けた北斎は、まさに「絵師の王」と呼ぶにふさわしい人物といえるでしょう。

梅雨入りしましたね。

  関東地方は例年より10日早く、5月29日ごろに梅雨入りしたそうです。
今週半ばから、ようやく雨が降り始めましたね。

さて、北斎が描いた『絵本隅田川 両岸一覧』の「新柳橋の白雨」では、雨の中を急いで橋を
渡る人々がいて、さしている唐傘(江戸時代に“からかさ”と呼ばれていた。)には、店の屋号や
傘の番号が描かれています。
とっても粋な感じですよね~!
現代でも、このような傘をさしていたら面白いですね!

 梅雨の時期特有のじめじめ感とむしむし感が嫌ですよね。
6月は、12ヶ月のなかでも最も評判の悪い月とも言われていますが、体調に気をつけて乗り切
りきましょう!

 

(『絵本隅田川 両岸一覧』 「新柳橋の白雨」)
『絵本隅田川 両岸一覧』 「新柳橋の白雨」  

北斎忌

 4月18日は、北斎さんの祥月忌日にあたります。

 1849(嘉永2)年4月18日、浅草聖天町遍照院境内の長屋で、老衰のため90歳で生涯を閉じましたが、亡くなる直前に大きく息をして、「あと10年の寿命があれば」と言い、しばらくして「5年の寿命が保てれば本当の絵師になれるのに」と言葉を発して不帰の人となったと伝えられています。

 当時としても大変長命であった北斎さん、最期まで持ち続けていた作画への情熱は“あっぱれ”ですね。北斎さんが残した辞世の句は、「人魂でゆくきさんじや夏の原」。

 毎年、4月18日には、北斎さんのお墓がある誓教寺で追悼法要が営まれています。

 

 (北斎 辞世の句)

 *誓教寺(せいきょうじ)    台東区元浅草4丁目6番9号